1 青磁《せいじ》


「ここはいつも静かだね」
 書架の間に目当てを見つけ、青磁は優しく声を掛ける。
 学園での華やかな喧騒がまるで違う世界の出来事のようだ。忘れ去られた地のように、常に静寂に包まれている。
「……図書室ですから」
 素っ気なく返す小柄な男に、青磁は笑み返す。懐かない猫が言葉を返すようになるまで数ヶ月を要した。
「今朝も双子が話題の中心だよ。双子と王子様」
 ピクリと震えた手が本を取り落とし、バサリと鈍い音が響いた。
 落ちた本を拾い上げ、図書室の主へと手渡す。煤けたような灰の髪が長く顔を隠している。
「まだ好きなんだ?」
「……そんなこと、ない」
「でも、動揺してる」
「……それ、は……」
 発育不良な、貧相としか言えない体と燻んだ灰の髪。灰《かい》という誂えたような名に、図書室の灰かぶり姫と呼ばれる男の想いびとは、学園一のαとの呼び声が高い櫟井《いちい》だ。成績優秀、眉目秀麗。αらしい体躯の良さに惹かれる者は後を絶たない。彼の唯一の欠点といえば、幼馴染みの双子以外眼中にないことだろう。
 学園の外れにある図書室に籠り切りな灰《かい》と櫟井では接点などない。はずだった。
「自分を、唯一助けてくれた男に恩を感じるのは当然だよ」
 灰の感情を肯定することで、安堵した彼は青磁に初めて目を遣った。
 そう。人気《ひとけ》がないことに乗じて慰み者となっていたΩの灰を、颯爽と救い出したのがαの櫟井だった。それだって、双子が図書室に本を借りに来る付き添いで傍にいただけのことで、幼馴染みたちの目に見苦しい行いを入れたくないから排除したに過ぎない。
 灰に何の感情も抱いていないのは、それ以来図書室に足を向けないことでも確かだった。
「……うん」
 感情の乏しい灰の顔に浮かぶ、微かな笑み。
 青磁の胸に焼けるような嫉妬と毒のような怨嗟が蠢く。
「もっと早く、みつけてあげられたらよかった。そうすれば灰は――」
 
 キレイでいられたのに。
 
 言外に語る言葉に、灰の表情が凍りつく。
 運命の相手が幼馴染みなら、どんなにか良かっただろう。手を伸ばし腕の中に閉じ籠めて、いつもいつまでも優しくしてあげられたのに。
 震えだした体を、青磁は切なく抱きしめる。こんなふうに、悪戯に傷つけることもなかったはずだと。
「ごめんね、灰」
 灰色の髪に口づけを落とし囁く。
 何に対する謝罪なのか。腕の中の愛しいひとはきっと分かってはいない。
 Ωとはいえ、こんなにもちいさな体にしかなれなかったのは、灰の生育環境が悪かったせいだ。財閥の父と愛人の間に生まれた庶子。生みの親が保護を拒んだせいで出自を疑われ、貧しい暮らしを余儀なくされたという。その、親が亡くなったことで父親に引き取られたのだが、本邸での暮らしもあまり恵まれなかった。
 本妻との子が灰と同じ歳だったのも、良くなかった。灰のほうが僅かに年上だったことも。
 同じ学園に在籍しているが、視界に入るのが不快だと灰を図書室に追いやったのがその男だ。そして、灰《かい》を凌辱するよう嗾《けしか》けたのも――。
 何も知らずにいた自分を、青磁は責めた。灰が苦しんでいる間ずっと海外で青春を謳歌していた自分に吐き気がする。
 それまで自分は、αであっても第二の性に左右されない特別な人間だと思い上がってさえいた。
 高校進学を機に両親の母校である学園に編入した。
 その日に運命を知り、悔恨に咽び泣いた。
 
「……ん、」
 青磁を拒む体が次第に蕩けていく。
 理性ではなく本能に訴えかける番のフェロモンが、灰に青磁を求めさせる。
「灰《かい》、いつかきっと、僕を――」
 すきになって。受け容れて。
 僕の運命。運命の番。
 灰の髪を梳くとキレイな灰の瞳が現れる。淡い灰色の睫毛に縁取られた、濃い灰色の瞳は潤んで揺れている。
「嫌なら、拒んで」
 眦に触れるだけの口づけを落とし囁く。
 だが陶然とした灰は青磁に縋り付くように身を預けた。
 唇に触れる。
 呆気なく解けしっとり濡れた舌は甘く、とても甘く、青磁を苦い気持ちにさせた。
 離れれば追いかけてくる。
 追えば逃げる。
「かい、あいしてる」
 告白は水音に飲み込まれていく。
 
 それは華やかな学園から遠く離れた、誰も知らないものがたり。

初出
2020/2/15 12:28 on Twitter

螺旋の梯子

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