俺がモブじゃなくなる日

初出 2020.10.02 Twitter

「あー、俺ってコイツが主役な物語の中のモブなんだろうな」って自覚のあるモブが、そのあまりの気負いのなさから主人公の関心を引いてしまうBL。モブは主人公の幼馴染とか学友とかいう「配役」も何もなくて、本当にモブ。脇役でもない、完全にモブ。その証拠に、主人公に名前を覚えてもらえない。

それでも、主人公の心の片隅にほんの少しずつ好感が溜まっていく。折々で親切にされ、不思議な気持ちを抱かせる存在。それを自分は覚えていられない、という違和感。だけどある日、主人公は気づいてしまう。モブの首筋の、シャツの襟に隠れてしまうところに、ちいさなホクロがあることに。

「えっろ!!」と主人公は思った。それは強烈な一撃ともいえる感情だった。だが、どこにでもいるような、名前も顔すらも覚えていられないような平凡な男に性欲が刺激されたとは認めたくないし言いたくもない主人公は沈黙した。そして注意深く観察する。なぜ、馬鹿でもないのに名前を覚えられないのか?

「えーっと、タナカ……だっけ?」適当な名前で呼んだら返事をした。奇跡的に合っていたようだ。タナカタナカタナカ、よし覚えた。エロぼくろタナカ。念のため、次に見かけたときには「ゴトウだっけ?」と言ってみた。どーよ。俺はタナカの名前を知っているが敢えての間違い。タナカは怒るだろうか?

モブはほんの少しだけ首を傾げつつも「なんだ?」と応えた。は? タナカじゃないのかよ。ゴトウなの? 主人公は何度かそれを繰り返したが、そのたびにモブは怒りも否定も訂正もしなかった。「クッソ適当にあしらわれてる……だと!?」。モブは主人公の魂に火を付けてしまったことに気づかなかった。

主人公は諦めた。諦めて、「首筋エロぼくろ」と呼んだら、モブは真顔の後に、真っ赤になって怒った。嬉しかった。いつもやんわりとした笑みを顔に貼り付けていたのに、自分に剥き出しの感情を向けている。主人公は「やっとコイツを捕まえた」と思った。そこから始まる執着愛。ロックオンされたモブ。

主人公曰く「いままで薄らぼんやりしてたのが嘘みたいに、お前だけ背景から浮き上がるように光り輝いて見える」から、どこにいてもみつけられるのだそう。「なにそれこわい」モブは青くなったが、主人公補正は強かった。これぞ物語の御都合主義。モブにはどうにもできなかった。

モブは、「自分はどうせ、物語のどっかで消える運命なのだろう。主人公の身近な存在でもあるまいし、恋人とか妻子とか、そんな特別なオプションもないに違いない」と達観していたので恋人のひとりも居なければ結婚の予定もない。ギラついた欲もないため、意外とモテることに本人は気づいていなかった。

それなりに自家発電で発散して満足してしまうモブは知らなかった。肌のぬくもりを。他人に与えられる、気持ちよさを。モブの反応にいちいち驚いて感情を肥大させていく主人公。「なん、っだコイツ……ピュアかよ!!」。もう完全に落ちていた。主人公が。モブに近寄る女も男も牽制する。怖い。

「コイツは俺のことなんて呆気なく捨ててどこかに行ってしまう」という焦燥。残念なことに、それは正しかった。モブは「変なイベント発生してんな? バグか」くらいにしか思っていなかった。「そのうち軌道修正されるだろ。そこで俺はフェードアウトだな。そうに違いない」と思っていたので流された。

会えばラブいことをする。むしろえっちなことをしまくっていたが、終わればモブはアッサリしていた。賢者タイムなんてもんじゃない。超ドライに躱してしまう。主人公には絶望しかなかった。ある日、限界に達した主人公に「俺を捨てないでくれ」と泣きつかれ、モブはやっと愛されていることに気づく。

この世界は物語の中じゃないし、主人公だって主人公ではない。モブは世界に自分に絶望していただけの普通の男だった。夢から覚めたような気持ちのモブだったが、今までの考え方を一朝一夕で変えられるわけもなく、これからも素っ気なく執着も薄く、主人公を振り回し続けるのだった。

でもずっと主人公を「主人公」だと思って見つめ続けていたのだよね……。両想いだね。という話。
おしまい。

これ現代モノなのかな? 名前は仮名です(そして本当の名前は出していない)。呆気なく人が死んでしまう世界のお話、って思ってた。

異世界なら、薄い本の好きな聖女様が産業革命をした後の世界で、活版印刷くらいは普及してるし紙もイイ感じのものが作れている。なので、モブという概念が知れ渡っていて「物の数にも入らない部類の輩」の略称だと思われている(元の「群衆」「大衆」という意味より辛辣なイメージ)。

この世界には「聖女の森」と呼ばれる広大で清浄な森林がある。お察し。

螺旋の梯子

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