永遠、或いは泡沫。
初出 Twitter 2020.10.20
ある日、伯爵令息であるカイは自分に毒耐性というパッシブスキルがあることに気づく。「こんなスキルは無かったはずだが……?」と思うと同時に、その発想自体に違和感を抱く。僕はいったい「いつ」と比べたのだろう。謎はそのままに、少年カイは破滅への道へと進む。
カイの生家である白妙伯爵家は、没落貴族である。父であり現当主のルイは体が弱く、領地は人に任せ王都近くのタウンハウスで療養する日々を送っているが、借金は嵩む一方だ。父とカイは爵位の返上を願い出て、どうにか資産の売却で借金の返済が出来ないかと考えているが、王宮から良い返事は届かない。
十二から三年通う義務のある王都の高等学校(別名を貴族学院という)に、カイは行きたくなかった。伯爵家とは名ばかりで家は資金難だというのに、悠長に学生生活を送るという焦燥、馬鹿にならない額の出費に対する心痛、そして病の父から離れなければならないという不安。
いっそ伯爵家など潰れてしまえば、新たな身の振り方も考えられるのに。因習に縛られ自由のない貴族の暮らしに、幼いカイは希望を見出すことが出来なかった。王宮から爵位返上に対する許しはないまま秋を迎え、慣例に沿って、華美な設えの入学案内状が白妙伯爵家に届けられた。カイは途方に暮れる。
医師への支払いに追われ、学院に進学するための支度金すらままならない現状では、絶望するしかない。そんなカイと伯爵家へ、手を差し伸べる者があった。真赭侯爵である。侯爵は、カイの学園生活にかかる一切の面倒を見る代わりに、息子の従者にならないかと言ってきたのだ。
願ってもない申し出のはずだった。だが、カイにはこの話に飛びつく気持ちが起こらない。寧ろ、逃げ出したくて仕方がなかった。温厚そうな雰囲気に切れ者を思わせる眼差し。侯爵は国内外で活躍する貴族院の議員であり、国の外交も担っているという名士だ。共をさせられている侯爵子息はカイと同い年だ。
まだ十一だという、その少年の目付きが、雰囲気が、カイは苦手だった。毛並みのいい貴族に見えるが、侯爵とカイが話している際に向けられる、値踏み蔑むような視線に気づき鼓動が早まる。「流されてはいけない」と強く思う。だが、カイに与えられた道は細く、険しく、それしかなかったのである。
カイは侯爵家預かりとなり、学院入学前に従者としての仕事を教えられた。侯爵には、「友人として側にいてやって欲しい」と言われている。聞けば、侯爵とカイの父は二歳差で、王都の学院では一年間ほど先輩後輩の仲だったという。懐かしそうに青春の日々を語る侯爵は、とても幸福そうに見えた。
学院に入学すると、忙しい日々がカイを待っていた。従者といっても、他の貴族同様に授業も受けられるし、そこに少し侯爵子息エンの世話が加わるだけだ。だが、それが一筋縄ではいかない。我儘なエンはカイを振り回した。せめて夜によく寝て休息をと思うのだが、それだけでは疲労は回復しないのだった。
夢も見ず泥沼に沈み込むような重だるい「眠り」。倦怠感は酷くなる一方で、決して楽になどならない。まるで不眠症のような、慢性的な疲労と記憶の混濁。父の病に似た症状に、カイは遺伝性の病を疑うようになる。症状が改善されぬまま一年を過ごした頃、カイは夜毎何者かに犯されている自分を知る。
「ああ、また逃れられなかった」。カイは呆然と意識を思考へと逸らす。抵抗したところで無駄なことは「よく知って」いた。「貴族の師弟ならば。従者であっても、酒で失敗するなんてあってはならない」そう言われ、入学当初からエンに飲まされている一杯の寝酒。それが、カイの記憶を失わせる毒なのだ。
酒が効いている間の記憶を奪うだけではない。催淫効果により、カイを淫らな獣にするのもまた毒の効果だった。エンは、そうしてカイを玩具のように弄ぶだけではなく、共犯者を引き入れ、一夜を高く売っていた。知らぬ間に春を鬻ぐ真似をさせられていたのだ。
カイの部屋には不釣り合いな、豪奢な飾り壺はエンがカイのためにと置いた物だ。中にはみっしりと金貨が詰まっている。「エンの策略により身も心も穢され半狂乱となったカイ」は、「学院内で売春を行っただけでなく、その罪を侯爵子息に被せようと騒ぎを起こし」断罪される。
そんな未来を、カイは「知っている」。「いつもいつも」、「エンの謀略によって淫売に落とされ」、それは「第一王子を巻き込み」「悪役令息として」「断罪」される。だが、「毒耐性のスキルを持ったカイ」は悪夢から抜け出すのが「いつもより」早かった。
金貨の打ち合う音をひとりきりになったベッドの中で聞きながら、カイは僅かな可能性を探すために記憶の沼底へと意識を沈めていった。
カイがまずしたことは、冒険者ギルドに薬の解析と解毒薬を探すよう依頼すること。神殿は王家との繋がりが深く信用に足るか分からなかった。冒険者ギルドならば独立機関であり立場は中立のはずである。費用は壺から流用した。壺の中から金貨を取り出し、石を敷き詰め底上げし気づかれないよう工作した。
そして、思いついて自分宛に手紙を書き残した。一度で果たせるはずがないと、「知って」いたからだ。手紙は何通にもなり壺の底に貯まっていった。そのうちに、「トキシラズのエルフを訪ねろ」と書かれた紙が壺の底からみつかるようになった。一筋の光明に見えたそれは、蜘蛛の糸のようだった。
自由のないカイにとって、冒険者ギルドへだって何度も足を運べない。辿り着けないことのほうが多いのだろう。トキシラズ。エルフは長命だ。智慧を借りよとの進言なのか。少しづつだが前進しているようだった。だが、記憶を保持し続けることは諸刃の剣となり、カイを苛んだ。夜が怖かった。
まだ明けやらぬ暗闇を、カイは土を踏みしめて歩く。もう限界だった。淫らな自分自身に耐えられない。だが、エンから与えられる酒を飲まずにもいられない。禁断症状に幻覚を見るのだ。それは正しく悪夢だった。潔癖な第一王子に助けを求め、彼の離宮に監禁される。
第一王子はカイを知るにつれ愛おしむようになるのだが、昼のカイを愛するが故に夜のカイを憎んだ。そして歪んだ愛憎によって、その身を魔物に犯させるのだった。人間、他の男に触れさせることは嫉妬により耐えられない。だが愛する者に求められ拒むことも限界で。魔物とは、王子の妬心の具象化だった。
そんな悪夢から逃れるように、カイは湖に身を投げる。穢れた身には月明かりすら断罪の焔のように感じられ、ただただ苦痛だった。清らかな水と、その底にある暗闇だけがカイを癒すのだと、朦朧とした頭で足を進めた。やがてトプンと、何者かに脚を掴まれ引かれるように湖へと沈んでいった。
湖底にあったのは暗闇ではなく、仄明るい空間に光り輝くような美しい青年の姿だった。「君もしつこいですね?」と呆れるような声を掛けられ、彼が「時不知のエルフ」そのひとだと知る。長命への暗喩だけではなく、彼はカイが繰り返す世界を識る者だったのだ。
エルフの住まいにいる間は、カイは正気でいられた。常に解毒浄化されている状態なのだという。ついでとばかりに解毒薬を渡された。手持ちの金がないと言うと、「ギルド経由で何度も支払われているから気にするな」とのことだった。己の行動が報われていると知り、カイは涙を流す。
「いい加減、住まいがお前の金貨で埋め尽くされそうだ」無限収納持ちのくせにエルフはそう苦言を呈する。カイの心臓がドクンと鳴った。「間違えてはいけない」。誰かが警鐘を鳴らす。過去のカイが。そして楽になった呼吸に泣きそうになりながら、こくりと唾を飲み込み言った。「父を救って下さい」と。
クプクプと、湖底から見上げる空には小さな空気の粒が幾つも幾つも登っていく。それは時折小さな渦を作り、まるで笑っているようにも思えた。「また、そなたは空を見上げているのか。陸地が恋しいか?」。時不知のエルフが伴侶に声を掛ける。人の世の理を超えた美がそこにあった。
だが、人の子にあってエルフの伴侶となった彼もまた世界を歪ませるほどには美しかった。「そら……?いいえ。私が見ているのは水泡たちです。なんとも可愛らしく笑っているようで」。学院で王太子に手篭めにされかけた少年が、何者かに導かれるように身を投げたのは、彼のエルフが居を構える湖だった。
身を侵す毒を消すため、少年はエルフの結界から出られぬまま永き時を過ごした。彼の両親は鬼籍に入り、知り合いもみんないなくなった。いつしか二人が愛し合い伴侶として契りを結ぶのは、自然な成り行きだったのかもしれない。「ルイ……」エルフが愛おしげに人の子を抱き寄せる。
そんなふたりを祝福するかのように、クプクプと無数の水泡が、湖水のなかを自由に泳ぎ踊った。
おしまい。
【補足】
ゲームか書籍の中の悪役令息なので、カイは悪夢のような人生を繰り返しています。タイムリープ?
ゲームか書籍の中の悪役令息なので、同じことを何度も何度も繰り返してるの。あまりに繰り返すものだからバグって毒耐性がついた。神からの慈悲かもしれない(ある意味残酷)。毒耐性に気づいてから、謀略を知るまでもまた何度も何度も(略)。そして少しづつ物語は変化していく。
メビウスの輪にバタフライエフェクト。
名前は適当。貴族なのでもっとちゃんとした長い名前のはずです。
爵位……そう簡単にポイポイ返上させてたら王国が成り立たないでしょ。どこの家も多かれ少なかれ借金まみれよ……。あと、伯爵だけど歴史が長くて惜しまれてる。個人的に王も白妙伯爵(父)を惜しんでいるw
パッパも同じよね(薬を盛られて体を好きにされてた)。相手は王様だけど。薬を手配していたのは侯爵。そして父は薬の毒によって死ぬ運命。
パッパは(支援の申し出を受け入れた後に)侯爵父に弄ばれ衰弱死かな。美形親子なのだった(不憫)。
最終的にパッパが救われました。でも幸せといえば幸せよねぇ、カイも。
エルフは約束を守っただけ。
ルイ(パッパ)を運命の輪から拐ったことにより、カイは生まれないルートへ入った。
カイはクプクプしてます(泡になった)。
人魚が泡になるような感じ? 沢山の生まれるはずだった、もしくは死んだカイの魂が湖に溶け込んでいる。
ハピエンとは。タイムリープを繰り返した末の、終着点としての幸せなので。
何度繰り返しても毒耐性がつくくらいしかない凡庸な子なんです……。エルフの元に残っても、父を想って泣き暮らすんだろうな。エルフとカイは結ばれません。面白がりはしてるけど。
自分だけ救われる道は選べない子なんだと思う。そして選択肢がとても少ない。
このエルフは時不知(タイムリープから切り離された存在)なので、ここをゴールとしちゃうと父は救われないのだった。
侯爵子息はntr属性。自分が抱く比率が低いので、カイへの負担は(直接手を出すより何倍も)重かった。他の男に毎晩のように抱かせていたから。
ルイ(カイ父)の場合は相手が王太子(現王)ひとりだったために、負担はカイより軽かった。
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