5 灰《かい》3


 ――誰かが泣いている。
 
 桜が咲いていたから。
 そこに白猫がいたから。
 ブランチの後に気紛れを起こしたのは、本当にたいした理由じゃなかった。
 図書室の外に出て、白花咲く山桜の木の下にブランケットを敷いてもらって。本を読んでいるうちにいつの間にか眠ってしまった。
 気がつけば、きれいな男の子が僕の目の前で涙を流していた。
 とてもいい香りがする、男の子。
『どうして《Jesus》』
 ポロポロと宝石のような雫で頬を濡らしながら、哀しみに耐えるよう引き結んだ唇から、それでも溢れるのは困惑の言葉。
 ――ああ、そうか。
 これが僕の運命。
 僕は首元に手をやり、迷うことなくネクタイを緩めた。解いて引き抜き、ジャケットが邪魔だと気づく。
 蒼褪め震える彼から目を逸らし、不思議と凪いだ心で邪魔な布を取り去っていく。
 いつかこんな日が来ることは分かっていた。
 視界の隅に柳さんと湊さんが映る。
 柳さんの肩に湊さんの手が掛けられ、制止されているの視認して、見守ってくれているふたりに勇気づけられた。
 今日のことを、どれだけ考えたか知れない。
 あの日からずっと、僕は、断罪される日を待ち続けたのだから――。
『どう、して……』
 はだけた首元に彼の視線が釘付けになっているのが分かる。
 やがて膝から崩れ落ち、項垂れ、足元のブランケットをきつく掴む。その指先が真っ白で、僕は、僕の心は震える。漣が立つ。
「――どうして‼」
 慟哭が耳を焼き胸を切り裂く。
 僕は何も、言うべき言葉を見つけられずにいた。
 這いずる彼の、悲痛な声なき叫びに魂を炙られながら、僕は花の香りに包まれる。甘く優しいリラの花。清廉で心癒される香り。
 彼の香り。
 無数の噛み跡が残る醜い体に、彼の手が届いた。
 僕の脚に触れる。
 穢れてしまう――。
 逃げ出したいのに、身動ぎも出来ず、されるがまま。
 泣き縋る彼は、とても美しかった。
 抱き締め慰められたらいいのに。
 僕の手は何も掴めず涙すら流せない。

初出
2020/03/12 10:27on Twitter

螺旋の梯子

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