百鬼夜行
初出
2020/07/10 19:13 Twitter
9LIVES外伝
自分が内心馬鹿にしてたひとに助けられる救われる、っていうシチュが死ぬほど好きなんですけど。つらつら考えてたのが托卵未亡人(男)でした。こっちが受けね。で、馬鹿にしてた馬鹿野郎はエリート様()が攻めよね。
欧州から倭ノ國へ出向させられた、倭系三世の大使館職員。倭の血が混じっているから、というくだらない理由で出世街道から外されと思い、常にピリピリしているエリート様。大使館と職員宿舎を往復するだけの日々。言葉は理解出来るが(エリート様だから)異文化交流する気は更々ない。
移住二世である両親も、神隠しに遭った祖国のことは碌に知らず息子を気の毒がった。彼らの中では、まるで左遷扱いだ。エリート様は、数年を無難に遣り過ごし、余暇は全てオンラインで資格試験の勉強に充てるつもりだった。そして祖国へ戻った暁には転職も視野に入れたステップアップをと考えていた。
大使館と職員宿舎の間には、欧風パン屋があった。赤煉瓦造りのモダンな建物は祖国を彷彿とさせる。扱っている品も欧州の伝統的な、祖国を想わせる物が多く、エリート様はこの店だけは認めてやっていた。店主は倭ノ國に帰化した欧州人らしい。だが従業員は倭だった。それがエリート様には気に入らない。
本当は毎日でも寄りたかった。何故なら、大使館の食堂にパンを卸している店であり、ここでなら焼きたてを買えるからだ。10時2時6時。それがバゲットが焼き上がる時間。エリート様はチェック済みだ。惣菜パンも美味しい。だが、やたらとフレンドリーな倭の店員と会いたくないが為に週一で我慢していた。
その倭は黒い髪に黒い瞳――ではなく、青い瞳をしていた。倭にしては珍しい。だから最初は帰化人だと思ったのだ。自分が憧れた瞳を持つ倭など、いていいはずがない。黒髪黒目の彼は思った。二言三言交わしていた言葉を、エリート様は無視するようになった。そのうちに倭の店員も話しかけなくなった。
時折、倭の店員が小さな子供と一緒にいるのを見かけた。「なんだ子持ちか」と思った。若く見えるが早婚だったようだ。失望している自分に、エリート様は気づかない。夏のある日、寝不足だったエリート様は体調を崩しながら職場へと向かっていた。遠い距離ではない。仕事も別に、休んだって構わない。
リモートワークという選択肢だってある。だからそれは単に彼の意地だった。だが、急に目の前が真っ暗になり気づけば知らない天井だった。「あ、気がつかれましたか」耳に心地良い声がエリート様を気遣う。職場では誰もがライバルで、あまりよい関係は築けていない。不意な優しさは心に染みた。
だが、そんな自分をエリート様は認められなかった。「君はパン屋の。迷惑をかけたようだな」お金を置いて立ち去ろうとするエリート様に「困った時はお互い様、と倭ノ國ではいいます。顔色が悪いですよ」言いながら茶を振る舞われる。それは祖母がよく淹れてくれたものだった。そして西瓜を与えられた。
暑気あたりには瓜と塩らしい。倭の住まいはこじんまりとした和風建築だった。坪庭のある、長屋という倭風アパート。暮らしぶりは質素で、贅沢とは縁遠いことが見て取れた。「子供は――」つい、そんな言葉が口から出ていた。「ああ、真昼――子供の名前ですが、真昼は今は寺子屋ですよ。学校です」と笑う。
「君の仕事は?」と問えば「休みました」と言う。途端に狼狽るエリート様。子供が学校に行っていると聞いた時には清々したのに。「そんなに簡単に休んでいいものか!」と説教してしまう。「子供の都合で休むことが多いので、用事がない日は働いていますから。大丈夫ですよ」と倭は笑う。笑い事なのか?
だが確かに、起き上がろうとすると目眩がした。仕方なく職場に連絡を入れ、エリート様は気が緩んだ途端に眠気に襲われてしまった。そして二度目に気付いた時には、子供に顔を覗かれていた。「なぁ、あんたやまと?」不躾な言葉に、頭にカッと血が上る。倭によくいる色彩を持って生まれたことは彼の
コンプレックスだった。そのせいで、しなくていい苦労をしたと思う。時に同情され、時に異物扱いされた。祖国は欧州だし、倭のことなど何も知らない。欧州人と同じだと自分は思っているが、そうは見てくれないひとびと。目が、髪が、どちらかひとつでも違う色なら――。幼い頃に受けた心の傷は今も
ジクジクとエリート様を苛む。正気に返った彼は、おざなりな礼を言って長屋を出た。そこは職員宿舎の裏手にある、森を挟んで向かい側に建っていた。「こんな近くに……」いたのか。エリート様は思った。妻はなく、子と二人暮らしなことは会話の中で知った。それがどうしたというのか。
そして日々は元通り。平日は毎日、職場と職員宿舎を往復し、パン屋へは寄らなくなった。殊更に彼を意識している自分を知りたくはなかった。そんなある日。大使館の食堂で彼の噂を耳にした。彼と子供の血が繋がっていないこと。同棲相手の男に、子共々捨てられたこと。そんな愚かな奴なのかと軽蔑した。
ほら。所詮は自分の相手ではない。彼はお人好しの間抜けで、面倒を背負い込んで笑っているような奴だ。押しつけられた血も繋がらない子を、心底大事そうに育てている。それは楽しそうに。――そう、自分のことしか考えない狭量な俺には似つかわしくない。エリート様は、生まれて初めて敗北を感じていた。
夏の盛りも過ぎ、暑さも落ち着く日が増えてきた。そんなある日。國から百鬼夜行の急が報される。夜間は絶対に外に出てはいけない。建物の中ならば安全だと、仕事も早仕舞いになった。だが倭言葉がわかるエリート様は職場待機を命じられる。公共施設は避難所として開放する義務があった。
職場待機といっても、エリート様に与えられた役目は通訳だ。倭が助けを求めて大使館へこない限り暇なものである。暇なあまり、パン屋の彼は大丈夫だろうか、そんなことばかり考えてしまう。段々と暮ゆく空は逢魔が刻に相応しい禍々しさがあるように思える。そもそも毎月、百鬼夜行日はあった。
倭暦に記されている。だが誰も、一度も何も言わなかった。だから、恐ろしげな名を与えられてはいるが、倭暦に細々と書き込まれている大安や仏滅くらいライトな迷信だと思っていた。「倭は、倭の経営する万屋(コンビニ)に逃げ込むことが多い。ここには来ないよ」だから寝ていいと言われ仮眠室待機と
なった。二階の、普段は足を踏み入れない場所に仮眠室はあった。ほぼ、というか客室である。予め引かれたカーテン。百鬼夜行は真夜中だという。外の様子が気になり、好奇心に負けカーテンを開けて外を見た。森だ。いや、杜というらしい。欧州に生まれ育ったエリート様にはその違いはわからない。
鎮守の杜。御神木があり社が建っていることを彼は知らなかった。その杜に白いものがふわりと過ぎる。目の錯覚かと思った。すぐに消えたからだ。だが――。「何故、彼があんなところに?」パン屋の倭だと思った。どうしたというのだろう。確かにふんわりしているが子持ちだ。厄日に外にいるわけがない。
心配を自分には関係ないじゃないかという気持ちで打ち消そうとした。あれは、あれを俺が心配する権利などない。他の誰かのものだから――。それに、案外しっかりしていそうだったじゃないか。なのに何故外にいる? もしや子供が外に出てしまったのかもしれない。そんなまさか。疑心暗鬼で心拍数が酷い。
スマホを手に、足は玄関へと向かっていた。上司へメッセージを送り、守衛には「外に知り合いを見かけた。こちらに連れて来る」と言い置くと走り出した。まだ真夜中には刻がある。間に合ってくれ。百鬼夜行なんて信じていなかった癖に、彼が巻き込まれるかと思うと不安で塗り潰されそうになった。
背の高い木が多い。足元は整然と整えられていた。入り口にあったのはもしや鳥居だったかもしれない。「鳥居はくぐっちゃダメよ。それは異界に繋がっているかもしれない」祖母の言葉を思い出す「鳥居を避ければ、怖いことなんてないからね」目に見える世界が全てではないのか。わからない。わからない。
彼はどこにいる。それは確信だった。エリート様の体に流れる倭の血が見せた、引き寄せた真実。「いた!」彼だ。エリート様の声に男が振り返る。白い、倭の儀式装束を身にまとい、顔にも白い布を掛けている。不思議な記号が描かれた布。彼、だよな?「おや、あなた。どうしてここに?」
穏やかな声に安堵する。そして安堵は怒りに取って代わる。「どうして、って!君が見えたんだ。窓から!」君こそ、そんな妙ちきりんな格好で何をしている。子供は無事なのか。そう尋ねようとした瞬間に、空気がずしりと重くなった。そして虚空を見上げる彼。「黙って。ひとことも発してはいけません」
そう言って顔の布を外し、エリート様に掛け、紐を結んだ。意外と視界は明瞭だった。「魔に魅入られたくなければ黙っていることです」飄々と、だが冷たく響いた声。ピンと張り詰めたような。そして気づけば、ザワザワとした気配が周囲に満ちていた。ゾッとして、一歩下がれば背が木に当たる。
すると、今まで視えていなかったものが目に飛び込んで来た。異形の者たちが参道に犇く姿が。彼らは小振りな建物から湧くように出ては鳥居の向こうへと消えて行く。百鬼夜行の言葉が頭に浮かんだ。まさしく、そうとしか言いようがない。ふと、石敷きの道から玉砂利の敷かれたほうへ出るものがあった。
それを、パン屋の倭がいつの間にかどこからか取り出した紙をシュッと投げれば、その妖は紙に吸い込まれるようにして消えてしまった。他の異形たちは仲間? が消えても嗤っている。それがなんとも恐ろしかった。ズルズルと、震える体を木に預けながらエリート様は地に座り込む。子供のように。
妖が列からまろび出るたびに倭は紙を投げ、吸い込まれる。まるで交通整理だ。くすりと笑えば、近くを通り過ぎた恐ろしげな妖が振り返った。慌てて口に手を当て息を止める。キョロキョロと周囲を見渡しながらも妖は流されていきエリート様は安堵した。目を瞑ればいいのに、それも出来ない。見届けたい。
これは現実か? 現実、なのか。自分は倭ノ國に住みながら何も知らなかった。知ろうとすらしなかった。欧州にいた頃と変わらない世界。そうだ。余暇はネットの向こう側の母国と繋がり、交流など持たなかった。神隠しにあった祖國。そこに住むひとびと。未だ不可思議が息づく異國。
いつしか、百鬼夜行はすべて鳥居の向こうへと消えていた。「大丈夫ですか? 立てますか?」参道に散らばる紙を拾い集め終えた彼が、エリート様の元へと歩み寄る。その顔は――。「怖がらせてしまいましたね。隠しているつもりはなかったのですが」わざわざ言うことでもないと思って。彼が苦笑する。
苦笑、したのだと思う。純白の狐がそこにいた。呪の記された布越しに、真実が明らかになる。それは神力を昂める触媒だった。手を差し伸べ、それは途中で引っ込められた「もう大丈夫ですので、その布を返していただけますか?」頭の後ろで結ばれた紐を外し白狐へ返す。布がなければ普通のひとに見えた。
「さて。今宵、私の役目も終えました。大使館までお送りしましょう」エリート様は、言葉もなくひとの顔をした白狐の横を歩く。あまりに驚く出来事が多く、思考がまとまらない。大使館はすぐ近く、気づけば白狐は消えていた。守衛と上司に心配され、エリート様は初めて申し訳なく思った。
それからも変わらぬ日々が続いていた。いや、少しは変わったのかもしれない。百鬼夜行の夜に友人を心配し外へ出たエリート様を、周囲は友好的に受け入れ始めたのだ。話してみれば、みな気のいい奴らばかりだった。心に壁を作り拒絶していたのはエリート様だけだった。「ここに来た奴はみんな通る道だ」
母国と同じようにみえて、根底が全く違う。異国。異世界だと、同僚は苦笑する。「そこの鎮守の杜に神社があるだろ? 御守りを買って身に付けるといい。御利益があるから」そうか、あそこは聖域だったのかとエリート様は思う。白狐も変わらずパン屋で働いている。硝子越しに姿を見る。
あれは異形だ。神聖なイキモノ、なのかもしれない。神の御使いと言うらしい。それがどうしてパン屋でなぞ働いている? あの子供も異形なのか? 隠(おに)というものがひとに紛れて暮らしていると。話しかける勇気はなかった。
百鬼夜行と行きあってから、街の見え方が少し変わってきたエリート様。なんとなく見張られているような、闇になにか潜んでいるような?上司にもカウンセリングを勧められていた。百鬼夜行の夜を軽んじてはいけない。それが倭ノ國に長く駐在している上司の訓えらしい。悩んだ末に、杜へと足を向ける。
そこはただの森に見えた。木の多い公園? 神社? 鎮守の杜と言われれば、そうなのかと思う程度のそれ。毎月のように百鬼夜行日は暦に記されている。だが、警告が出るようなことはなかった。全てが幻想のような、不可思議な体験だった。
お近付きになれぬまま一旦終わり。
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